第50回 セルバンテス
25年5月11日 

スペインのアルカラ・デ・エナーレス市にある「セルバンテス広場」。その中心に「セルバンテスの像」が立つ。この地で生まれた文豪は、400年以上がたった今も世界中で親しまれている

〈セルバンテス〉
勇気を奮って進もうではないか。
行手には千の福、万の幸せが待っている。
 「世界じゅうどこを探してもこの作品より深遠で力強いものはない。これはいまのところ人類の思想の最も偉大な、そして究極の言葉である」。そう語ったのは、大作家のドストエフスキーである。
 
 「この作品」とは、これまで140を超える言語に翻訳されてきた『ドン・キホーテ』。小説家のみならず、画家や彫刻家、音楽家まで、あらゆる分野の専門家に影響を与えた世界的名作が出版されて、今年で420周年を迎えた。
 
 「戦さにかかわる一切の事柄は、ひたすら汗を流し、精根をかたむけ、死力をつくさないでは、しょせん実現はおぼつかないものだ」「運命が拙者にあてがうところのいかなる危険にも臆することなく身をさらし、弱き者、困窮にあえぐ者を助けるために力の限り戦う覚悟を固めております」――同小説には、魂をゆさぶる言葉が随所にちりばめられている。
 
 著者はスペインの文豪ミゲル・デ・セルバンテス。今も読み継がれる傑作を編み出した彼の人生は逆境の連続だった。
 
 セルバンテスは1547年、マドリード近郊のアルカラ・デ・エナーレスで生まれた。
 
 20代初めまでの足跡は、ほとんど資料が残っていないが、一家は経済的に貧しく、幾度となく転居を余儀なくされたという。その中でも読書の楽しさを知り、子どもの頃に当時有名だった脚本家の舞台を見たことがきっかけで、劇作家になる夢を抱いたとされる。
 
 70年、イタリア・ナポリに駐屯するスペイン軍に入隊。以降、5年にわたって従軍し、翌年には歴史に名高い「レパントの海戦」に参加する。その戦闘でセルバンテスは名誉の負傷を負い、左腕の自由を失ってしまう。
 
 その後、兵役を終え、スペインへの帰途に就くが、トルコの海賊船に襲われ、とらわれの身に。捕虜生活は5年に及んだ。
 
 この間、仲間と共に何度か脱走を試みる。だが計画はいずれも失敗。それでも、そうした経験を糧とし、後の作品に生かしていく。
 
 彼は記している。
 
 「悲惨な目にあってもじっと我慢するっていうのが、強い心にふさわしいことですよ。おいらは自分の体験からそう思うんです」
 
 「偉大なる船長、大いなる苦労なくして大いなる事業は成りません」
 
 「勇気を奮って進もうではないか。行手には千の福、万の幸せが待っている」

アルカラ・デ・エナーレス市を望む。同市は大学都市として古くから栄え、アルカラ大学のキャンパスと周辺の歴史地区は世界遺産に登録されている

〈セルバンテス〉
たてつづけに降りかかっている嵐は、
まもなく荒天がしずまって、われらが
順風に帆を上げるようになる前兆じゃ。
 身代金が支払われ、スペインに帰国したのは33歳の時(1580年)。レパントの海戦で英雄的な働きを見せたセルバンテスであったが、国からはわずかな賃金しかもらえず、生活は困窮を極めた。
 
 失意と屈辱の中、彼は文壇に打って出ると心を決め、85年に最初の小説を出版する。ところが作品の評価は芳しくなく、鳴かず飛ばずの状況が長く続いた。
 
 生活費を稼ぐため、軍の食糧調達官の職に就いたことも。セルバンテスは誠意をもって仕事に励んだが、調達品の無断売却という根拠なき嫌疑をかけられ、逮捕されてしまう。数年後にも再び投獄の憂き目に。しかし、これが作家としての転機となり、獄中で『ドン・キホーテ』の着想を得る。
 
 そして1605年、60歳を前に『ドン・キホーテ』の前編を出版する。同小説は、騎士道物語を読みふけったドン・キホーテが妄想に陥り、自ら騎士となって従者のサンチョ・パンサと共に“正義のため”の遍歴の旅に出るストーリー。二人が繰り広げる冒険の数々には、理想と現実との相克、夢や希望をもつ生き方など、人生の本質に迫るテーマが織り込まれている。
 
 前編はスペイン文学史上未曽有の成功を収め、何度も版が重ねられた。国内外で読まれ、作家としての名声は高まったが、彼の苦難の旅は終わらなかった。版権を出版社に売り渡してしまったため、成功に見合った報酬を得ることができなかったのだ。
 
 さらに、『ドン・キホーテ』の人気は他の作家たちの嫉妬をかき立て、偽の後編が出版される騒ぎに。貧相な模倣に終始した偽作に対し、彼は書きかけの後編の筆を急ぐ。そして偽作が出た翌年(15年)、68歳にして後編を著したのである。
 
 その中で、セルバンテスは痛烈に喝破している。「真実というものは痩せ細りも、弱ることもない、つねに油が水のうえに浮かぶがごとく、偽りのうえに現われる」と。
 
 『ドン・キホーテ』が完結した翌16年、セルバンテスは息を引き取った。亡くなる数日前には、遺作となった小説の献辞と序文を執筆。最後まで作家として生きた彼が紡ぎ出したドン・キホーテの言葉は、現在も世界中の人々に希望と勇気を届けている。
 
 「今われらの身に、たてつづけに降りかかっている嵐は、まもなく荒天がしずまって、われらが順風に帆を上げるようになる前兆じゃて。なぜと申すに、良いことも悪いことも、そうそう長続きするはずはないのであってみれば、われらにずいぶんと悪いことが続いた今、良いことがすぐ近くに来ておるに決まっているからじゃ」
 
 「考えても見るがよいぞ、戦って勝つ、敵を倒すということより、偉大な悦びが、この世にまたとひとつでもあるんじゃろうか?」

22年ぶりにスペインを訪問し、共戦の同志を激励する池田先生。第1回「SGIスペイン総会」に出席し、“行き詰まりとの戦いが信心である”と訴えた(1983年6月、マドリード市内で)

〈「ドン・キホーテ」を通して語る池田先生〉
どんな困難な状況にあっても、
解決策は必ずある。厳然たる祈りと、
勇敢なる信念の行動があれば、
永遠の希望に満ちた勝利の突破口を
開いていけることは、間違いないのだ。
 セルバンテスの生誕地であるアルカラ・デ・エナーレス市には、創立500年以上の歴史と伝統を誇るアルカラ大学がある。スペイン語圏で最も権威ある文学賞「セルバンテス賞」の授賞式は、同大学の大講堂で開催されている。
 
 同大学は2018年、池田先生に「名誉教育学博士号」を授与した。翌年には「池田大作『教育と発達』共同研究所」を開設。創価教育の研究や講演会等を行ってきた。教育学部には昨年、池田先生の人間教育思想、牧口先生の価値創造教育などを学ぶ修士課程が開講。文豪ゆかりの地からスペイン社会に、池田先生と創価教育の思想哲学が大きく広がっている。
 
 先生にとってセルバンテスは、若き日から愛読してきた作家の一人。『ドン・キホーテ』を通して残した指針も多い。
 
 「『ドン・キホーテ』の中で、主人公が、こう語る。『感謝の念も、ただ心の中で思っておるだけのものであれば、それは実践のない信仰と同じで死物に過ぎぬ』
 
 ドン・キホーテは、“心の中で感謝するだけなら、本当の感謝ではない、自分は行動の中で感謝を示そう”というのである。恩を忘れない。師に対し、友人に対して、人間として感謝していく。それが正しい道である。そういう自分になることだ。そういう人を友人や先輩にもたなくてはいけない。
 
 私は、師匠への報恩感謝を、具体的な一つ一つの勝利の結果をもって、果たしてきた。死にもの狂いで果たしてきたからこそ、今日の世界的な学会ができあがったのである」(05年1月22日、新時代第1回全国青年部幹部会でのスピーチ)
 
 「どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。
 
 『運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれる』(中略)
 
 息苦しい陰惨な“不可能の壁”が、いかに頑丈に見えても、鬼神をも動かす厳然たる祈りと、勇敢なる信念の行動があれば、必ずや、永遠の希望に満ち満ちた勝利の突破口を開いていけることは、間違いないのだ」(04年4月28日付本紙「随筆 人間世紀の光」)
 
 そして先生は、長編詩「希望は人生の宝なり」で詠んだ。
  
 希望に 生き抜く人には
 堕落がない。惰性がない。
  
 悩める友に 希望を贈りゆく
 貢献の日々には 成長がある。
 充実がある。向学がある。
 創造がある。連帯がある。
  
 「闇が深いほど
 光が明るくなるように、
 苦しみが募るほど
 強くなるのが
 ほんとうの希望」とは
 スペインの大作家
 セルバンテスの叫びであった。
 
 (中略)
 
 君よ 貴女よ
 決して負けるな!
  
 いかなる
 艱難辛苦があろうとも
 金色に輝く希望の光を
 断じて忘るるな!
  
 おお 君たちよ
 私が心から信頼し
 愛する君たちよ
 希望に生き抜くのだ!
 断固と勝ち抜くのだ!


アルカラ大学から池田先生への「名誉教育学博士号」授与式。世界の民衆を結び、平和の文化を創造し、教育最優先の社会構築に尽力した功績をたたえて(2018年1月、同大学大講堂で)

 【引用・参考】セルバンテス著『新訳 ドン・キホーテ』牛島信明訳(岩波書店)、同著『ドン・キホーテ』同訳(同)、同著『ペルシーレス』荻内勝之訳(筑摩書房)、同著『世界古典文学全集39 セルバンテスⅠ』『世界古典文学全集40 セルバンテスⅡ』会田由訳(同)、同著『世界文学全集6 ドン・キホーテ』堀口大學訳(講談社)、ハイメ・フェルナンデス著『ドン・キホーテへの招待 夢、挫折そして微笑』柴田純子訳(西和書林)、P.E.ラッセル著『セルバンテス』田島伸悟訳(教文館)ほか