第36回 ソクラテスとプラトン 23年11月12日 |
ギリシャの首都アテネの中心にある小高い丘・アクロポリスを訪れた池田先生。 ソクラテスとプラトンの正義の師弟が歩んだ精神闘争の歴史に思いをはせた(1962年2月4日) 〈シビレエイのように青年を感化したソクラテス〉 自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる。 創価学会は今月18日、93回目の創立記念日を迎える。 初代・牧口常三郎先生、第2代・戸田城聖先生、そして池田大作先生が不惜身命で築いた民衆勝利の大城。 池田先生は恩師の生涯と精神を後世に伝え、学会の真実を永久に残すため、小説『人間革命』『新・人間革命』を執筆した。 『新・人間革命』の最終章である「誓願」の章には、21世紀最初の「11・18」を祝う本部幹部会の様子が最後に描かれている。 その中で、山本伸一が後継のバトンを託す思いで語るシーンがある。 「どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。 また、それこそが、創価学会が二十一世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです」 師弟ある限り、絶対に負けない。永遠に発展する。それは、いにしえの歴史からも学ぶことができる。 さかのぼること、およそ2400年。古代ギリシャで哲学史に輝く師弟の出会いが結ばれた。ソクラテスとプラトンである。 釈尊、孔子、キリストと並び、「世界の四聖」と仰がれる哲人ソクラテス。 弟子プラトンは、冤罪で世を去った師匠の思想を文字として再現し、人類史にとどめた。 ソクラテスは都市国家アテネが繁栄から衰退へ向かう紀元前469年頃から紀元前399年を生きたといわれる。 生涯、「汝自身を知る」ための探究を貫き、問答による対話で、人々を真理に目覚めさせていった。 ソクラテスの青年への感化力は「シビレエイ」にたとえられた。 その意見に彼は「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」と応じている。 だが、権力者やソフィスト(詭弁家)たちから恨まれ、“国家の認める神々を敬わず、青年を腐敗させた”という無実の罪で告発されてしまう。 裁判の結果は死刑。 それでもソクラテスは「わたしは、正義に反することは、何ごとでも、いまだかつて何びとにも譲歩したことはない」「善きひとには、生きている時も、死んでからも、悪しきことはひとつもない」との信念を曲げず、1カ月の獄中生活の後、毒杯を飲み最期を迎える。 ソクラテスの死を前に、仇討ちを誓ったプラトン。師の正義を証明する弟子の戦いが始まった。 〈プラトン〉 自分が自分に打ち勝つことが、すべての勝利の根本ともいうべき最善のことである。 プラトンの生誕は紀元前427年頃。名門の血を引く彼は、もともと政治家を志していた。 ソクラテスと出会ったのは、20歳前後と推定されている。ソクラテスの言説を聞くと、衝撃的な感動を覚えた。 それは当時、詩作に励んでいたプラトンが、書きためた作品を焼き捨てるほどのものだったとの話もある。 ソクラテスに対するプラトンの心情がうかがえる一節がある。 「あなたが話したことを他の誰かが話すのを聞くときでさえ、たとえその語り手がひどく下手であろうと、われわれはすっかり心を打たれて、とりこになってしまう」 「私は、毒蛇よりもっと痛いものに、もっと痛いところを咬まれたのだ――哲学の言葉によって、魂を」 しかし、プラトンが20代後半の頃、ソクラテスは謀略によって告発され、刑死する。 敬愛する師を政治権力に殺されたプラトンは憤怒し、言論の力で立ち上がる。 「わたしは、真実を語るには、遠慮もせず恥じらいもしない」 師弟が交わりを結んだ歳月は約10年。 プラトンはソクラテスの正義を満天下に示し、一つの書も著さなかった師の精神を言葉で残すため、人生を捧げていく。 『ソクラテスの弁明』をはじめ『メノン』『饗宴』『パイドン』など、ソクラテスを主人公にした作品を数多く生み出した。 さらには、アカデメイアと呼ばれる学園を創設し、対話を重んじる教育と人材育成に尽力。 そこで学んだ哲学者アリストテレスがプラトンに師事し、その信念を受け継いだ。 プラトンは80歳で亡くなるまで「師弟の道」を歩み抜いた。 ソクラテスを「人類の教師」として未来に残る存在へと高めた彼の言葉に、こうある。 「自分の内にある臆病と戦い、それに勝って、そのようにして完全に勇敢な者にならなけりゃならん」 「自分が自分に打ち勝つことが、すべての勝利の根本ともいうべき最善のことであり、自分が自分に負けるのは、最も恥ずかしく、また同時に最も悪いことだ」 〈ソクラテスを語る池田先生〉 わかりやすい言葉で、相手の中にある「善いもの」を引き出し、互いを豊かにする。 差異を超え、心を結ぶ対話の中に「共生の知恵」が生み出される。 ギリシャを訪問した池田先生がアクロポリスを視察。 パルテノン神殿などに足を運んだ(1962年2月4日)。 後に先生はつづっている。「パルテノンには、永遠性を願う人びとの思いが、結晶しているように感じられてならなかった」と 1962年2月4日、池田先生はギリシャを訪問。 パルテノン神殿がそびえるアテネの「アクロポリス」に立ち、眼下に広がる街並みや遺跡を一望しながら、ソクラテスとプラトンの師弟に思いをはせた。 さらに、ソクラテスが投獄されたと伝えられる牢を視察。哲人の殉難の生涯に心を巡らせた。 当時の心境が、小説『新・人間革命』第6巻「遠路」の章につづられている。 「ソクラテスは、プラトンならば、自分の思想を、哲学を人びとに伝え、自分の正義を証明してくれるであろうという確信があったはずだ。 死の時を待つ彼の胸には、若き愛弟子プラトンの英姿が、鮮やかに躍動していたにちがいない。 牧口先生もそうだ。獄中にあっても、戸田先生がいたから安心しておられた。戸田先生も、私がいるから安心だと言われた。 私も、そう言い切れる後継の青年たちを、全力をあげてつくる以外にない」 そして、この40年後の2002年1月、池田先生は新春随想「ソクラテスを語る」を本紙で連載。 「対話の名手」の生き方を通し、創価の同志にエールを送った。 〈「ソクラテスを語る」から〉 「ソクラテスの対話」の驚嘆すべき特徴とは、だれにでも「わかりやすい言葉」で、「わかりやすい事実」を通して、目指すべき「高尚な思想」「神々しい徳」を語ったことである。 (中略)思想は、人々の心に生きてこそ意味がある。単なる難解さは自己満足にすぎない。 ソクラテスは、自分の知を誇るためではなく、「相手のために」対話した。「わかりやすい」ということが慈悲の発露なのである。 民衆が強くなることだ。民衆が賢明になることだ。そこにしか、人類の理想社会への道は開けない。 そのために立ち上がったのが創価学会である。 私が、わが関西の久遠の同志とともに、大阪事件の「無罪判決」を勝ち取ってから、この1月25日で40年を迎える。 冤罪が晴れた無罪判決の最終確定を、私はアテネに続いて訪れたエジプトのカイロで聞いた(1962年2月8日)。 大阪事件の法廷闘争の勝利をはじめとして、学会は、一切の謀略を厳然と打ち破り、正義の旗を打ち立ててきた。 正しいからこそ勝たなければならない。正義だからこそ、現実のうえで、断じて勝って勝って勝ち抜くことが、冤罪で苦しんできた人類史の転換となるからだ。 21世紀に必要なのは、ソクラテスが実践した対話 ――わかりやすい言葉で、相手の中にある「善いもの」を引き出し、互いを豊かにする対話ではないだろうか。 差異を超え、文明を超え、心を結ぶ対話の中に「共生の知恵」が生み出されるにちがいない。(中略) 一人ひとりが「21世紀のソクラテス」として、わが地域で、社会で、そして世界を舞台に、「勇気の対話」「希望の対話」「哲学の対話」を力強く繰り広げてまいりたい。 広宣流布大誓堂完成10周年を飾る「11・18」から明「世界青年学会 開幕の年」へ ――学会は師弟の誓いのままに、正義の対話の勢いを加速させていく。 池田先生の不当逮捕・勾留に抗議して開かれた「大阪大会」(1957年7月17日、中之島の大阪市中央公会堂で)。この4年半後、先生の無罪判決が確定した |