第32回 ダンテ 23年7月9日 |
恐れるな。安心するがよい。私たちはだいぶ先まできたのだ、ひるまずに、あらゆる勇気をふるい起こすのだ。 歴史学者アーノルド・トインビー博士が、池田大作先生との対談で「好きな作家」として即座に名を挙げた人物がいる。 イタリアの詩聖ダンテ・アリギエリである。 「ダンテは、偉大な芸術を生み出すことによって、自らの私的な不幸を世界の多くの人々の僥倖へと転換しました。 だから私はダンテの人格を敬愛してやまないのです」と博士は述べている。 ルネサンス文学の地平を切り開いた哲人の人生は、最愛の人を失った悲哀と、権力の迫害による苦闘の連続だった。 ダンテは1265年、イタリア・フィレンツェの貧しい小貴族の家に生まれた。 幼少期に母親と死別。9歳で終生、理想の女性と慕ったベアトリーチェと出会うが、彼女も20代で世を去った。 死とは何か? 人間は何のために生きるのか? ──絶望の底で、ダンテはその答えを先人の哲学に求める。古代ローマの詩人ウェルギリウスや政治家キケロ、ボエティウスなどの書物を次々と読破。 また、ボローニャ大学に学び、弁論術や哲学、天文学、医学など、あらゆる知識を吸収していった。 ダンテの言葉に「世界は、そのうちに正義が最も有力であるときに、最も善く傾向づけられてある」と。 やがて彼は気高き信念を胸に政治の舞台へ。30代でフィレンツェの最高指導者に就任。だが、栄光の絶頂で再び試練に襲われる。 フィレンツェを手中に収めようと画策する教皇らにより、無実の罪で永久追放されてしまったのだ。 それでも権力に屈することはなかった。ペンの炎を燃え上がらせた彼の有名な詩にこうある。 「沈黙することは/その敵にわが身を結びつけるほどの卑しい/下劣さである」 魂の言論闘争はやがて、後世に輝く大叙事詩『神曲』の執筆へとつながっていく。 後年、池田先生はダンテの母校・ボローニャ大学での講演を『神曲』の一節で締めくくった。 「恐れるな」「安心するがよい。私たちはだいぶ先まできたのだ、ひるまずに、あらゆる勇気をふるい起こすのだ」 【ダンテを語る池田先生】 世界を平和へ、幸福へ、繁栄へ、調和の方向へと前進させるには正義が力を持たねばならない。 そのために一人でも多く、力ある正義の人を育てるのだ。 【師匠ウェルギリウスの励まし】 時を惜しめ!今日という日はもう二度とないのだぞ! 正しい人が誹謗中傷され、悪人が民衆から尊敬を集める──この「正義と邪悪の転倒」をいかにして正すか。 ダンテは亡命生活の中で思索を深めた。そして、真実を世に示すために『神曲』の筆を起こしたのである。 彼が友人に宛てた手紙には、こうつづられている。 「作品の目的は、人びとを今陥っている悲惨な状況から遠ざけ、幸福な状態へと導くことにある」と。 どこまでも「民衆の幸福」を基準としたダンテは、誰もが作品を読めるよう、ラテン語ではなく、日常の話し言葉であるトスカーナ語を用いた。 『神曲』は、1万4233行に及ぶ長編叙事詩である。主人公のダンテが作中の師匠である詩人ウェルギリウスと共に死後の世界を巡るという壮大な物語だ。 永久に罪を罰せられる地獄界、罪を浄化する煉獄界、正義と慈悲にあふれた天国界の旅を通して、人間の善悪を克明に描き出している。 地獄での光景に恐怖を抱くダンテをウェルギリウスは叱咤する。 「心配するな。私たちの行手は誰も遮ることはできぬ」「望みは確かだ、元気を出すがいい」 傍観、貪欲、暴力、偽善、中傷分裂、裏切り……。地獄界ではさまざまな罪を犯した者たちが報いを受けていた。 そこでは、現実世界で権勢をふるった聖職者や為政者たちが断罪されていた。 ダンテは火を吐くように叫ぶ。 「おまえらの貪欲のために善人が沈み悪人が浮ぶ悲しい時世となった」「おまえはとんでもない悪事をしでかした」 鋭く糾弾する姿をウェルギリウスは満足げに喜んだ。ダンテは師の導きによって、勇敢な青年へと成長を遂げたのである。 「私がいかほど先生に恩を感じているか、私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」 ──師に応えようとする報恩の心こそがダンテの原動力であった。 地獄界を抜けた二人は、煉獄界にたどり着く。そこには、罪を浄化する“煉獄の山”がそびえ立っていた。 頂上を目指し、厳しい傾斜に挑むダンテをウェルギリウスが鼓舞する。 「常に山の上を目指して私の後からついて来い」「風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のようにどっしりとかまえていろ」「いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ!」 「時を惜しめ、という先生の訓戒は前から幾度も聞かされていたから、この先生の言葉は私の耳にぴんと響いた」。 師の言葉を支えに、試練の山を登攀したダンテは、頂上に広がる森で憧れのベアトリーチェと再会を果たす。彼女は 慈悲の心で迎え入れ、凜然と正邪を語り、彼を導いていった。 『神曲』の中でダンテは「意志の力が十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」と訴える。そして、真実を語り抜くことを誓って物語は幕を閉じる。 人類の道しるべとなる不滅の傑作を書き上げた後、ダンテは熱病を患い、56歳で世を去った。 池田先生は10代の頃からダンテの著作に親しんできた。 1981年6月には、フィレンツェにあるダンテの生家を視察。偉人の生涯に思いをはせつつ、青年たちと語らいを弾ませた。 フィレンツェからは後年、平和と文化への貢献をたたえ、先生にフィオリーノ金貨、平和の印章、名誉市民称号が授与されている。 さらに先生は2008年、特別文化講座「大詩人ダンテを語る」を本紙で発表。 東西の学園生や宝の未来部をはじめ創価の青年たちに希望のエールを送った。 本年は15周年の節目に当たる。 〈「大詩人ダンテを語る」から〉 皆さんは、どんな時も、一生涯、離れない、真の友情を結んでいってもらいたい。 私の人生の誇りは、ただ誠実の一点を貫いて、嵐に揺るがぬ友情を築いてきたことです。 「尊敬によってつくられた友情が真実で完全で永続的である」 これは、ダンテの友情観です。 尊敬できる、よき友を持つこと。そして、自分自身も尊敬に値する、よき友となっていくこと。 ここに、誇り高き青春の名曲が奏でられていくのです。 この世界を、平和の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へ、調和の方向へと前進させていくためには、正義が厳然たる力を持たねばならない。 これがダンテの一つの結論であった。 では、正義が力を持つためには、どうすればよいのか。 それは、一人でも多く、力ある正義の人を育てることです。 一流の人格の指導者は、決して「へこたれない」。また、「人を妬まない」。 前へ進む人、成長し続ける人には、他人を妬んでいる暇などありません。人を嫉妬するのは、自分が前に進んでいない証拠です。成長していない証拠なのです。 ダンテは、苦難をバネにして、「汝自身」を大きく育てていきました。「わが道」を前へ前へ進んでいきました。 きっとダンテは、「あの嫉妬深い悪人どものおかげで、わが使命の執筆ができるのだ!」と、敵を悠然と見おろしながら、「大きな心」で前進していったに違いありません。 師弟の絆ほど、美しく、強いものはない。 師弟とは、ある意味で、親子以上の関係です。親子は動物にもありますが、師弟は人間にしかない。 師弟があってこそ、本当の学問があり、英知があります。 師弟あればこそ、弟子は困難に飛び込んでいける。師弟がなければ、命を懸けた信念の戦いを貫くことは難しい。 人格を鍛える根本の力も師弟です。それが、師弟に生き抜いた私の実感です。 (08年4月23日~5月25日付・全5回) 後継の友が立ち上がる師弟の月・7月。 「学生部・未来部大会」「“未来”座談会」から青年・凱歌の「11・18」へ──我らは創価の若きダンテたちを先頭に、勢いを増して進む。 |