ロマン・ロラン
25年7月12日 


 本年は、第2次世界大戦の終結から80年の節目に当たる。20世紀前半、欧州が発火点となった2度の世界戦争。この激動の時代にフランスで生まれ、帝国主義やファシズムと真っ向から対峙した、一人の言論の闘士がいる。

 「全地上の友人たちよ、危険の迫った人類を、私たちの結合によって救いましょう!」

 「今日の全文明は、相互依存するあらゆる民族、あらゆる人種の協同の努力や征服から成っているのです。選別しようとするのは、気違いじみた愚劣なことです」

 「立ち上がれ、そして断固たる心をもって戦うのだ」「全力をふりしぼって戦うのだ」

 こう呼びかけた人物の名は、ロマン・ロラン。「時代の良心」とたたえられ、第1次世界大戦中にノーベル文学賞(1915年度)を受賞した作家・思想家である。
ロマン・ロラン(1866―1944年) 
 人類愛を強く抱き、平和主義を貫いた“戦う文豪”――その基盤となったのは、少年時代からの読書であった。母方の祖父の書斎には、ゲーテやシラー、シェークスピア、ユゴー等の名著が並んでいた。ロランはそれらを読んで自由や平等、友愛などの思想に触れ、大きく視野を広げていった。

 本との出あいを通して成長したロランは14歳の時、生まれ育ったブルゴーニュ地方から一家でパリへ移住。母の期待を背に、高等師範学校への進学を目指す。1886年、3度目の挑戦で合格を果たすと、哲学や歴史、地理などを学び、知識を磨いた。

 在学中には、すでに名声を得ていたトルストイとも交流を結んでいる。ある時、“芸術が人間に及ぼす力”について疑問をもったロランは、トルストイに手紙をしたためる。名もない一学生に返事が来るとは夢にも思っていなかったが、後日、一通の封書が届いた。差出人はトルストイ。長文にわたる丁重な返信に、ロランは感激で打ち震えた。

 そこには「人類にとって善や美は、人間を結びつける最大のものです」と。この言葉は、やがて平和のための行動を起こすロランにとって、大きな励ましとなった。

 さらに彼が、最も影響を受けた人物として名前を挙げるのが、音楽家のベートーベンである。難聴などの苦難に屈せず、不朽の名作を残した楽聖を「生活の偉大な伴侶」としたロラン。“悩みを突き抜けて歓喜に至った”姿を自らの人生に重ね、後年、ベートーベンの生涯に迫る一書を発刊する。
ロマン・ロランが敬愛してやまないベートーベンの作曲による「第九」(歓喜の歌)を、5万人が大合唱したアジア青年平和音楽祭(1994年11月、福岡ドーム〈当時〉で)。出席した池田先生は「九州は勝ったね! 完璧だった」と先駆の同志をたたえた
〈ロマン・ロラン〉
よりよく思想を打ち込むために、
同じ語を繰り返すことが有効ならば、
繰り返し、打ち込み、他の語を捜すな。
 1889年、高等師範学校を卒業したロマン・ロランはイタリア・ローマに留学する。この地で、彼の最高傑作となる小説『ジャン・クリストフ』を着想した。

 当時、欧州では、帝国主義の台頭や列強諸国の対立などにより、緊張と不安が渦巻いていた。その中でロランは、ドイツ・ライン河畔の貧しい家に生まれたジャン・クリストフが、革命や戦争といった幾多の困難を乗り越えながら、「聖なる音楽」という理想を追求するドラマを描いていく。

 「ああ! 生きるというのはなんとすばらしいことか!」

 「人生は仮借なき不断の闘いである。『人間』の名に値する人間であろうとする者は、目に見えぬ敵の大軍と絶えず闘わなければならぬ」

 執筆から完結まで約10年を費やした大河小説に、文豪は平和へのメッセージを込めた。

 同小説を書き終えた1912年以降、ロランはペンの闘争を一段と加速させる。第1次大戦が始まると、滞在先のスイスで論説「戦いを超えて」を発表。“何のために、若い英雄たちを殺し合わせるのか!”――青年を戦争に向かわせる指導者らを痛烈に喝破した。

 戦争に協力しない彼をフランス社会は「非国民」と批判する。しかし、その信念は決して揺らがなかった。ジュネーブの国際赤十字で戦争捕虜の救援活動に従事。さらに、同団体にノーベル文学賞の賞金を寄付している。

 第1次大戦後、敗戦国では国民の間にさまざまな不満が生じ、国際対立が再び激化する事態に。ロランは“分断”ではなく“結合”を求め、「精神の独立宣言」を発表する。

 「われわれは人類全体のために働く。そして、ただ一つの民衆とは、悩み、戦い、倒れてもなお立ちあがり、けわしい道をたえず前進している、みんなが兄弟であるような民衆である」と。こうした彼の訴えには、アインシュタインやタゴールら大勢の世界的知性が賛同を寄せた。

 この頃、ドイツでは、後にヒトラーが率いるナチスが誕生。政治的混乱や経済不況によって大衆の不満が高まる中、排外主義や反ユダヤ主義を扇動し、急速に支持を拡大していく。

 それはやがて第2次大戦という最悪の悲劇へとつながるが、戦争の暗い影が世界を覆い始めると、ロランは発起人の一人として反戦の国際大会を開催する。“ファシズムが敗北しなければ、われわれが愛し、また尊敬するものはすべて滅びる”との危機感から、ナチスの不正を告発し続けた。

 晩年になっても、彼の胸から平和の炎が消えることはなかった。

 “死ぬか、さもなくば創造すべし”との言葉を残した通り、命が燃え尽きるまで筆を握り続け、ナチスからのパリ解放を見届けた4カ月後の1944年12月、78歳で生涯の幕を閉じた。

 ナチス政権が崩壊し、大戦が終わったのは、翌年のことである。

 「人生というものは、苦悩の中においてこそもっとも偉大で実り多くかつまた最も幸福でもある」――ロランの魂は、国境そして時代を超え、人類の精神遺産として永遠の輝きを放つ。
〈ロマン・ロランを通して語る池田先生〉
今日この一日を、いかに戦い切るか。
出発の勤行の中で、誓願の題目を強く
また強く、朗々と唱えゆこう。
これが、大宇宙の法則に合致しゆく
絶対勝利の方程式であるからだ。
2007年11月、関西総会に出席した池田先生(関西池田記念会館で)。この最後の関西指導で先生は、ロマン・ロランの言葉を通して常勝の同志にエールを送った
 ロランは、池田大作先生が愛読した作家の一人である。恩師・戸田城聖先生と出会った直後に書き始めた読書ノートには、ロランが著した、ベートーベンの伝記の冒頭部分を書き写した。

 広布への指針として、同志に贈ったロランの箴言も数多い。

 九州、中部の友には――

 「勝利をうるためには、すべての力を糾合せねばならないのだ」

 関西、関東の友には――

 「勇気なくしては、いっさいが空虚である」

 東海道の友には――

 「真の英雄は民衆である」

 東京の友には――

 「『行動』こそ本質的な点なのです! 運命の時に、断じて放棄せず、また障害物を避けないことです」

 また20年前の夏、池田先生はリーダーに強く訴えた。

 「ロランはつづっている。

 『直截に(=きっぱりと)語れ』

 『理解されるように語れ』

 『よりよく思想を打ち込むために、同じ語を繰り返すことが有効であるならば、繰り返し、打ち込み、他の語を捜すな』

 御書には、『声もをしまず』(全328・新261)、『声仏事を為す』(全708・新985)等と記されている。仏の仕事を行うのは、妙法に生きる民衆の声であり、一つ一つの振る舞いである。友を勇気づけるには、まず自分が勇気を奮い起こすことである。

 友に確信を与えるには、まず自分が確信の祈りに徹することである。友に希望を贈るには、自分が希望を見いだし、一歩踏み出すことである。私たちの『声』一つ、『心』一つで、これらすべてを行うことができる。『広宣流布は、声で勝て!』『声で勝ちまくれ!』」(2005年8月12日、創立75周年幹部特別研修会でのスピーチ)

 さらに、先生はロランの言葉を通して随筆で呼びかけた。

 「『明けてくる新しい日にたいして敬虔な心をおもち!』『その日その日を愛して尊敬して、なによりもその日その日を凋ませないことだよ』

 新しい日に対して敬虔な心を持て――我々でいえば、まさに朝の勤行・唱題の会座である。(中略)

 『私は、やり切った!』という、黄金の歴史をいかに刻むか。『本末究竟等』の法理から捉えれば、新たな戦いに立った『今』の決意が一切を決める。今日この一日を、いかに戦い切るかで決まってくる。

 二度とは来ない今日、自分の課題は何か。なすべき使命は何か。日々の出発の勤行の中で、誓願の題目を強く、また強く、朗々と唱えゆこう。これが、大宇宙の法則に完璧に合致しゆく絶対勝利の方程式であるからだ」(16年1月20日付本紙「随筆 永遠なれ創価の大城」)

 我らは声で勝ち、信心で勝つ!

 師弟の月・7月。分断から結合へ、対話の大波を起こし、立正安国の正義の勝ち鬨を天高く轟かせよう。
 【引用・参考】『ロマン・ロラン全集』全43巻、宮本正清・片山敏彦・新村猛・山口三夫・波多野茂弥ほか訳(みすず書房)、『世界文学全集41 ロマン・ロラン集(一)』高田博厚訳(筑摩書房)、ロマン・ロラン著『トルストイの生涯』蛯原徳夫訳(岩波文庫)、同著『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳(同)、ベルナール・デュシャトレ著『ロマン・ロラン伝 1866―1944』村上光彦訳(みすず書房)、『ロマン・ロランの言葉』山口三夫訳編(彌生書房)ほか