第9回 ウィンストン・チャーチル
21年7月2日 
さあ、勇気を奮い起こそうではないか!
我々は絶対に屈服しない。最後まで
「勝利」に向かって前進するのみだ!

彼の不屈の闘志は全民衆の心を奮い立たせた(AFP=時事)

「もし、イギリス帝国が千年の久しきにわたって存続するならば、『これぞ、彼らの最も輝かしいとき』と、後世の人をして言わしめよう」

時は第2次世界大戦下。悪化するイギリスの情勢を前に“未来までの勝利”を信じてやまなかった一人の指導者がいる。

彼の名は、ウィンストン・チャーチル。ヨーロッパを蹂躙したナチス・ドイツに敢然と立ち向かい、祖国を栄光へと導いた希代の名宰相である。

政治家、軍人、画家、ノーベル文学賞作家という多才な顔をもち、その功績をたたえ、没後は英国王室以外で民間人初の国葬が執り行われた。

“世界の企業経営者が最も尊敬するリーダー”に選ばれるなど、今なお多くの人に愛されている。

だが、彼の人生は次々と迫り来る逆境との連続闘争であり、絶体絶命の窮地からの“逆転のドラマ”であったといえる。

1940年、65歳で首相に就任。ナチスが勢力を拡大し、侵略の脅威がイギリスにも及ぼうとしていた時代だった。

恐れをなした一部の閣僚は、ドイツとの融和政策に躍起になった。そんな中、国の命運を背負ったチャーチルは決断を下す。

「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問に答えましょう──勝利、この二字であります」

絶対に屈服しない。最後まで「勝利」に向かって前進するのみだ! 

“徹底抗戦”を表明した彼の叫びは、恐怖におびえる国民の心を奮い立たせた。

チャーチルは常に自ら民衆を鼓舞し、民衆と辛苦を共にするリーダーだった。

首都ロンドンへの空爆が激しさを増す中、彼は瓦礫の山と化した市街地を訪れ、護衛も連れずに被災した市民を激励に歩いて回った。

そして、ある時はラジオを通して、またある時は廃墟の街中で、渾身の演説を繰り返した。

「決してあきらめてはならない。決して、決して、決して。事の大小にかかわらず人生の大事であれ些事であれ、名誉や良識に関わることでないかぎり、決してあきらめるな。明らかに敵が圧倒的な力を持っていたとしても断じて力に屈するな」

「さあ、勇気を奮い起こそうではないか! 前途は疑いなく明るい。悲哀と犠牲のどん底から、人類の栄光はよみがえるだろう」

最後の勝利は我々のものだ!──チャーチルの代名詞でもある「Vサイン」は、人々に限りない希望と勇気をもたらした。


〈チャーチルを語る池田先生〉

「記憶せよ──断じて停止せざることを、 断じて疲れを知らざることを」

勝つまで戦いをやめない。誓いを忘れない。これが学会精神である。


〈チャーチル〉

敵の見せかけの強さを恐れてはならない。

苦しい闘争の渦中で戦意を失う瞬間は必ずやってくる。追撃あるのみだ!

チャーチルは幼少期、発音障がいに悩んだ。伝統あるパブリックスクールのハロー校に学んだが、成績は常に最下位を争う劣等生だった。

陸軍士官学校は3度目の受験で、ようやく合格を果たした。

卒業後はキューバ、インドなどの戦線へ従軍。この激動の時代に本を読みあさり、学問に目覚めていく。

政治、経済、歴史、宗教など、あらゆる知識を吸収していったチャーチルについて、後にイギリスの歴史家・トインビー博士は“彼の創造的な個性は戦線の中での自学自習によって形成された”と分析している。

「どんな逆境においても絶望してはならない。むしろ絶望という名の不運から、希望ある将来へと導く強さを学ぼう」

──これが彼の人生哲学であった。

1940年5月、ドイツ軍の猛攻により、英仏軍がフランスの港町に追い詰められた。

チャーチルは全ての艦船、民間の漁船、ヨットまでを動員し、撤退作戦を敢行。

34万人の救出に成功した。“ダンケルクの奇跡”と呼ばれた英断である。

直後の6月、フランスの降伏でイギリスは孤立無援に。

“最後の審判の時”と誰もが絶望する中、本土爆撃に耐え抜き、やがてドイツ軍を撃退した。大戦の転換点の一つとなった「ブリテンの戦い」である。

チャーチルは言う。「敵の見せかけの強さに戦意を失ってはいけない。

苦しい戦いの渦中で燃え盛るような闘志や鉄面皮の下に敵がどれほどの脆弱さを隠しているか、いつ突然に戦意を失う瞬間がやってくるか、誰にも分からないものだ」

絶対絶命の難局を、チャーチルは「忍耐」と「執念」で乗り越え、勝利をたぐり寄せていった。後に彼は述懐している。

「これほど追撃の手の弛められなかった勝ちいくさは、戦史に例を見ない」

「史上の大闘争はすべて、分の悪いのを物ともせずに、または間一髪のところで勝利を奪取するすぐれた意思力をもつ側の勝ちに帰した」

45年5月、ついにドイツが降伏。吉報に沸き立つ国民の前で、彼は高らかに宣言した。

「これは、あなた方の勝利です。わが国の長い歴史上にも、これほどの偉大なる勝利はかつてわれわれの知らぬところであります」と──。

“諸君の勝利である”との言葉に、民衆は力強く応えた。

「これはあなたの勝利である」

ロンドン郊外に立つイギリスSGIのタプロー・コート総合文化センターには、かつてチャーチルが植樹した杉の木がある。

「泣き杉」と呼ばれ、祖国と世界の前途を憂う彼の心情を表している。

同じ時代、日本では初代会長・牧口常三郎先生が軍国主義に立ち向かい、「今こそ、国家諫暁の時ではないか」と師子吼した。

後年、池田先生はタプロー・コートの庭園に、先師を偲び「正義桜」を植樹。2本の木は風雪に負けず、今も根を張っている。

1972年5月10日には、チャーチルの生家であるブレナム宮殿を訪問。トインビー博士との初対談の翌日のことだった。

 先生は闘魂燃える彼のリーダーシップを通し、折々に不屈の勝負哲学を伝えてきた。

「チャーチルは述べている。『諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない』

負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ──これが彼の信条であったに違いない。

創価の精神もまた、同じでなければならない」(2008年5月21日、新時代第18回本部幹部会でのスピーチ)

「チャーチルは、ヒトラーと戦う国民に、こう訴えた。

『記憶せよ──われわれは断じて停止せざることを、断じて疲れを知らざることを、断じて屈服せざることを』(中略)

勝利するまで、戦いをやめるな。疲れても、あきらめるな。屈するな。断じて誓いを忘れるな!

──これがチャーチルの正義の執念であった。これが、学会精神である」(01年9月5日、第9回本部幹部会でのスピーチ)

「チャーチルには、“こんなことでロンドンは滅びない! イギリスは負けたりはしない!”という強い一念があった。

その心意気を、多くのロンドン市民は感じ取り、奮い立っていった。

一念は波動し、確信は共鳴し、勇気は燃え広がるんです。(中略)

リーダーである皆さんは、いかなる大難があろうが、巌のごとき信念で、絶対に勝つという強い一念で、悠々と、堂々と、使命の道を突き進んでください」(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」の章)

それは、本陣・総東京を先頭に、“勝負の10年”の初陣の勝利を誓う同志へのエールにほかならない。

師弟の月・7月が幕を開けた。「戦いはいかに厳しくとも、勝利は必ずわれわれの上にある」とは、チャーチルの確信である。