第1回 ネルソン・マンデラ 20年11月1日 |
新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではない。愚弄されてもくじけない人に、栄誉は与えられる。 南アフリカの大統領に就任し、来日したマンデラ氏と、池田先生が再会。 ![]() 両者の会見は5年ぶり2度目となった(1995年7月5日、東京・迎賓館で) 獄中生活の過酷さは、経験した者でなければ分からない。それが27年半、日数にして1万日にも及んだ ──反アパルトヘイト(人種隔離)運動を率いたマンデラ氏の投獄期間である。 独房は、歩いて3歩ほどの狭さ。体を伸ばすこともできず、向こうが透けて見える薄い毛布で酷寒の夜をしのいだ。 孤独から房内の虫に話し掛けようとしたこともあった。「一時間が一年にも感じられた」という。 家族や同志は迫害され、母の病死、長男の事故死を塀の中で知った。嘆願した葬儀への参列も、かなうことはなかった。 だが、言語に絶する地獄のような苦しみを味わっても、氏は希望を失わなかった。 全ての人種が平等に暮らせる「虹の国」を築く──心には大いなる理想の炎が燃え続けていた。 「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」──母の励ましの手紙にも支えられた。 獄中で氏はつづっている。 「新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです」 「愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます」 氏の静かなる闘争は、同胞を奮い立たせた。それはやがて国際社会をも動かし、アパルトヘイト撤廃への潮流は大きなうねりとなっていった。 そして1990年2月11日。ついに釈放の日がやって来た。 奇しくもその日は、第2代会長・戸田城聖先生の誕生日だった。池田先生は、交友録にこう記した。 「南アの『夜明け』に喝采を送りながら、私は同じく巌窟王であった恩師を偲んだ」 マンデラ氏を語る池田先生 人生には、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもある。 嘆かず、腐らず、焦らず、「じっとこらえて今に見ろ」と不屈の旗を振り通していくことだ。 どんな相手でも、考え方は変わる。だから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ。 池田先生が500人の青年と共に、人権の闘士・マンデラ氏を歓迎。創大生が歌う南アフリカの愛唱歌に"マンデラ・スマイル"が輝いた マンデラ氏にとって"闘争"は、釈放されてからが本番だった。収監当時、働き盛りの44歳だった年齢は70歳を過ぎていた。 人種対立は深刻の度を増し、暴力が激化するなど、課題は山積み。黒人の復讐が始まるとの懸念が広がったが、氏は対話の力で融和の道を探った。 「どんな相手でも、たとえ看守だろうと、考えかたが変わる余地はあるのだから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ」 ──これが監獄の中で培った氏の確信であった。 粘り強い対話の末、1991年にアパルトヘイト関連法が廃止に。 94年には南アフリカ初の全人種参加の選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に選出される。氏は就任式で訴えた。 「絶対に、二度とふたたび、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことがくり返されてはなりません」 "交渉による革命"は成し遂げられた。しかし、人種間にはぬぐいがたい不信が残ったままだった。 そこで氏は、黒人解放運動のシンボルである歌とアパルトヘイト時代の国歌をつなぎ合わせた新国歌の作成や、新たな国旗の制定など「あらゆる手段」を講じていく。 その一つの成果が、95年に開催されたラグビーワールドカップの南アフリカ大会である。 同国においてラグビーは「白人のスポーツ」。 「スプリングボクス」の愛称で親しまれる代表チームは、それまではアパルトヘイトの象徴でもあった。 氏はチームカラーの"緑と黄金色"の帽子をかぶり、最前線で応援した。代表のスローガンは「一つのチーム、一つの国」。 その人気は勝ち進むにつれ、人種を問わず高まっていく。 試合の日には"黒人居住区でも人影が消える"といわれるほど、多くの国民がテレビの前で声援を送った。 迎えた決勝戦。スプリングボクスは強豪ニュージーランドに競り勝ち、初優勝を飾る。 スタジアムでは至る所で新国旗が振られ、新国歌が高らかに歌われた。 白人と黒人が一つになった大会は、「虹の国」実現への確かな一歩となった。 釈放から8カ月後のことであり、会見は氏のたっての願いだった。 先生と共に500人の青年が歓迎し、創価大学生の代表が高らかに叫んだ。 「アマンドラ・ンガウェトゥ!(民衆に力を!)」──それは、人種差別の壁を打ち破った南アの人々の合言葉。 そして「ロリシャシャ・マンデラよ……」と、同国の愛唱歌の大合唱が始まった。氏は驚き、満面に笑みを浮かべた。 5年後の95年7月、氏は大統領として来日。池田先生と再会を果たしている。 2度の会見は「教育」と「後継」が焦点に。「一本の高い樹だけではジャングルはできません。 他の多くの木々が同じような高さまで伸びて、大きな森の茂みができあがる」。先生が訴えると、氏は深く頷いた。 氏の言葉や生き方を通し、先生は友に語り残してきた。 「マンデラ氏は、身近なところから、敵をも味方にしていったのである。 地道といえば、じつに地道である。しかし、こうした地道な対話のなかにこそ、勝利の栄光は築かれていく。 牧口先生、戸田先生もまた、獄中にあって、果敢に仏法を語られた。 そして、看守や検事にも、仏縁を広げられた」(95年6月12日、栃木・茨城代表協議会でのスピーチ) 「人生の行路にあっては、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもあります。 その時が勝負です。嘆かず、腐らず、焦らず、『じっとこらえて今に見ろ』と不屈の旗を振り通していくことです。 必ず、そこから反転攻勢の流れを起こせるからです」(2012年3月21日、創価大学・女子短大卒業式へのメッセージ) 大いなる理想がある限り、いつでもどこでも、何歳からでも、希望を紡ぎ出すことはできる。 巌窟王の不屈の歩みは、それを私たちに教えてくれている。 ──90年の訪日で最もうれしかったのは「池田SGI会長にお会いしたことです」と語った氏。そして、言葉を継いだ。 「その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。 私は、27年間、囚われの身で戦ってきましたが、"これで、その努力が報われた"と思いました」 忘れ得ぬ出会いから30年。昨日が、その記念日である。 ◆ 人道主義の王者マンデラ氏に捧ぐ 「人道の旗 正義の道」 池田 大作 おお 夜明けの大地に 希望の光は走り いま一筋の正義の大道は開かれた きらめく朝風に 人道の旗はひるがえり 民衆の自由の歌声は 茜に染まる大空にこだまする おお アフリカの大地に昇る 希望の太陽よ ヒューマニズムの理想に 生涯を捧(ささ)げゆく人間解放の父 ネルソン・マンデラよ ああ 一九九〇年二月十一日 二十八年に及ぶ獄中生活をへて 民衆の歓呼のあらしのなか あなたは自由の大地を踏(ふ)んだ 苦難と忍耐の歳月に 顔には深く皺が刻まれ 髪は白く染まるも その瞳は優しき慈愛と闘志に輝き 長身の体には 解放への情熱が燃えさかっていた 二月十一日―― 奇しくも その日は 我が恩師 戸田城聖先生の生誕の日 あなたの釈放のニュースを耳にしながら 人道と人間の尊厳のために 戦い抜いた亡き恩師をしのびつつ 私は この日 この時 歴史の歯車が 新たな回転を開始したことを感じとった 自由と人権のうねりは 南アの大地から 世界へ 世紀へと 滔々と流れ始めたのだ おお 自由と平等と民主の理想に生きぬく 偉大なる「アフリカの父」よ 終身刑の判決が下され 四十四歳から七十一歳にいたる 過酷極まりなき獄舎での一万日―― 支えなき一家への 陰湿なる迫害の数々 愛する母や子の相次ぐ死 ――面会のたびにもたらされる悲報に 胸張り裂ける思いで いくたび呻吟の夜を過ごしたことか しかし 人道の勇者は 決して負けなかった 非道なる恫喝も恐れず 懐柔の誘いもはねのけ 毅然と精神の闘争を貫き 獄舎のなかでも勉学に励み 人間の人間たる 勝利の証を打ち立てたのだ 空を覆うむら雲も 赫々たる太陽の光を隠すことはできない 肉体はくびきに繋がれるとも 不屈の魂を屈服させることは 誰びとにもできはしない そして 一粒の信念の種子が 地中深く根を張るとき 必ずや無数の若芽を育み たわわなる実りの秋は訪れるのだ あなたの存在は 暴政への人間的抵抗の生きた象徴となり あなたから送られるメッセージは どれほど同志を勇気づけ アパルトヘイト撤廃への 精神の糧となったことだろうか 私は もろ手をあげて称えたい その偉大なる精神の力を その不撓なる信念の力を そして 満腔の敬意をもって呼びたい 誇り高き「アフリカの良心」にして 人道の道を行く我が魂の同志――と ああ ネルソン・マンデラ 未来の大陸に昇る希望の太陽よ 私は思い描)いてきた あなたが自由の大地を跨む姿を いつの日か私たちの 出会いが訪れることを 我が友にしてペレストロイカの旗手 チンギス・アイトマートフ氏は 私に断言した 「 “ 紛争 ” よりは “ 建設 ” へ 世界は 時代は動いている いま 必要なのは “ 建設的人間 ” その名を挙げればマンデラ氏」と あなたは叫ぶ! 「私は 白人支配にも 黒人支配にも反対する」と あなたの心に 国境はない あなたが見つめるのは 人種の別でもなく 生まれの貴賤でもなく 人間を人間たらしめる内なる光源だ あなたは 訴えた 「皆さんと 私の自由は 切り離せない」 人間であることの誇り 人間であることの尊さ 喜びも 悲しみも ともに担い ともに分かちあいながら はるばると 晴れ晴れと 「人道」と「正義」を求めゆく旅 敵をも心服させる あなたの大きさ 万人をも包みゆく あなたの深さ その人類愛の光彩は すべての人間のなかに脈打つ 大いなる実在を 強く 優しく輝かせてやまない おお あなたこそ マハトマ・ガンジーにも比肩する 「人道主義」 の王者だ ビバ! マンデラ! 人類のゆくえを照らす太陽よ いまや長き呪縛の鎖は断たれ 巨人は起(た)った! ビバ! マンデラ! “ アフリカの世紀 ” は間近だ “ 未来の大陸 ” の鼓動は高鳴る 見よ! 二十一世紀の育き空にかかる 絢爛たる希望の虹を 聞け! いかなる迫害にも屈することなき 自由と解放と平和への 人間の熱き魂の凱歌を 永遠なれ! マンデラの太陽よ 栄えあれ! マンデラの大地よ 一九九〇年十月三十一日 朝 |