VODの指針 苦難に揺るがぬ金剛の自身を築け 25年1月27日 |
使命を「自覚」した人は強い 「人間革命」が真の幸福の道 創価学会こそ世界の希望 ![]() 1997年1月に行われた第1回全国男女記念幹部会でスピーチする池田先生(巣鴨の東京戸田記念講堂で) 創価学会は、不思議なる仏意仏勅の団体である。 偉大なる哲学を持った1000万の人々が、平和のため、文化のために活躍している。広宣流布という恒久平和へ、仏法の大哲理を根本に進んでいる。 これほど偉大な民衆の団体は他のどこにもない。いまだかつてなかったし、これからも永遠にないであろう。その学会の真実の後継が、諸君である。21世紀の本舞台は、すべて諸君のものである。 君たちが思う存分、全世界で指揮を執り、活躍できるように、私は毎日、祈っている。命がけで、その土台をつくっているつもりである。 歓喜ある人生 人生の真の幸福とは何か。だれもが知っているつもりで、じつはよくわかっていないテーマではないだろうか。 タイ王国のことわざに、こうある。 「にせものの幸福は、人を図に乗らせ、醜く、高慢にする。ほんものの幸福は、人を歓喜させ、知恵と慈悲で満たす」 非常に単純なようで、非常に深い言葉である。「にせの幸福」とは、外面を飾る幸福である。「ほんものの幸福」とは、自分の中から、内面から湧いてくる幸福である。その究極は、仏界を湧かせていくことである。 「ほんものの幸福」とは、より豊かな自分に「変わっていこう」とする幸福である。つまり、人間革命である。 これからの日本は、絶対的幸福、すなわち人間革命を追求していかなくては、真の安定も、平和も、幸福もありえないと私は思う。 その変革の先駆者こそ、妙法という大哲学を掲げて戦っている諸君である。あらゆる人々が、歓喜と知恵と慈悲ある人生を満喫していける時代。それを開くのは諸君である。進むべき「道」を知っているのは、私ども以外にはない。 ![]() 東京・創価高校書道部の有志が書き上げた“飛翔の年”の書。躍動感あふれる筆致で、第6回本部幹部会の参加者を迎えた(1月11日、東京戸田記念講堂で) 若さは無限の力 「若い」ということは、「無限の希望」「無限の力」「無限の財宝」である。 若いというだけで、お金も何もなくても、最高の財産をもっているのと同じである。 若さには、希望がある。未来がある。無限の力がある。早く偉くなろう、金持ちになろう――そんな必要はない。自分のなすべき使命に生きぬいていけば、必要なものは、ちゃんとあとからついてくる。 努力また努力していけば、果実が熟するように、福徳が実っていく。 「自覚」が大事である。「自覚」すれば、もっともっと世界が広がる。もっともっと深い人生の次元に入っていける。 私は青年時代に決めた。「私は戸田先生という師匠をもった。師匠の言うことを、全部、実行しよう。この師匠のもとで、訓練を受けよう」と。 この「自覚」があったがゆえに、何の悔いもない。 ![]() 二十歳となる友の代表も参加し、晴れやかに開催された第6回本部幹部会。席上、VODの新番組「使命の自覚で『金剛身』をつくれ」が上映された(同) 悪と戦う功徳 仏の身は「金剛身」と説かれる。 いわばダイヤモンドのごとく強い生命。何があろうと壊れない福徳。燦然と光る人格。そういう自分自身になるには、どうすればよいのか――これが日蓮大聖人の御書の一貫したテーマである。その結論は「徹底して悪を責めよ!」ということである。 すなわち折伏である。戦いである。法戦である。 「悪を責めれば、自分が金剛身になる。仏になる」。これが仏法の要諦である。 釈尊もそう教え、日蓮大聖人もみずからそう実践された。「開目抄」には、こう書かれている。 「(釈尊は弟子の迦葉に次のように言った)迦葉よ、私は悪人の迫害のなか正法を護持しきった因縁によって、今、この常住にして永遠に壊れない金剛身をつくり上げることができたのである。(中略)(仏法を破る悪人がいるときに、彼らを打ち破るための)師子吼をできず、正法を踏みにじる悪人を降し伏させることができない。このような僧(仏弟子)は、自分にも功徳はないし、衆生に功徳を与えることもできない」(全235・新119、通解) この原理を、大聖人は繰り返し繰り返し説かれた。御書全編を貫く指導がここにある。 大聖人は仰せである。 「謗法を責めないで成仏したいというのは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものだ。はかないことである、はかないことである」(全1056・新1435、通解) 有名な御言葉である。謗法を責めてこそ、功徳がある。仏になる。金剛身になれる。この御金言どおりを貫いたところに、創価学会の偉大さがある。 ![]() 来日した中南米の同志が、司会の呼びかけに応える。“広布勝利の波動を私たちから!”――SGI発足50周年を飾る決意を込めて、高らかに拳を突き上げた(同) 最後の勝利者に 仏法は厳しい。いかに表面を飾ろうとも、妙法だけは、だますことはできない。 法華経に「此経難持(此の経は持ち難し)」(法華経393ページ)とある。この経を持つ人には必ず難がある。 難と戦わなければ仏にはなれない。 「金剛身」にならなければ損である。これ以上の絶対の幸福はない。何があっても、ダイヤモンドのように光る。何があっても楽しい。毅然たる姿である。 一人も残らず、そうなっていただきたい。そのための仏道修行であり、信心であり、戦いなのである。 日蓮大聖人は、高らかに宣言された。 「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」(全232・新114) 御本仏のこの大確信を拝して、戸田先生もまた師子吼された。「創価学会こそ日本の柱である」と。 大聖人という「日本の柱」を鎌倉幕府は倒そうとした。佐渡流罪の折には、大聖人ただお一人を捕えるために、時の実力者・平左衛門尉は、武装した数百人の軍勢を引き連れてやってきた。 日本をあげて、大聖人を極悪人あつかいであった。そういうなかにあって、大聖人は、「大高声で」言い放たれた。 「ああおもしろい、平左衛門尉が、ものに狂うを見よ! 貴殿らは、ただ今、日本国の柱を倒しているのだぞ!」(全912・新1229、通解) 厳然たる大確信の御姿である。 今は「混迷の時代」である。もはや、「世界の希望」は学会しかない。これは、世界の心ある多くの人が語っているところである。この「偉大なる自覚」に立って、真の大聖人門下の「信心の底力」を発揮しましょう! 人生、最後に、だれが勝つか。「苦労した人」である。苦労を避けた人は、あとから苦しむ。御書のとおりに、また学会精神のままに、仏法の真髄を行じた人が最後に勝つ。信心だけは愚直なまでに誠実に、やりきった人が得をする。幸福になる。これが50年間、数限りない人々を見てきた私の結論である。 私は諸君の勝利を見届けていきます。 |