第2回「宗教間対話Ⅰ」㊤ 25年2月28日 |
![]() 三代会長の平和闘争に敬意と信頼を寄せ、創価学会とカトリック世界の交流を促進してきたエスキベル博士㊨。池田先生との対談集『人権の世紀へのメッセージ』の中で、博士はこう語っている。「宗教も、大きな挑戦に直面しています。それぞれのアイデンティティーを失うことなく、精神性を分かち合いながら、世界的な相互関係を築くという挑戦です」(1995年12月、都内で) 池田大作先生の思想と行動から、人類の宿命転換を成し遂げゆく方途を学ぶ本連載。 第2回のテーマは「宗教間対話Ⅰ」である。 昨年5月に実現した、原田会長とローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇との会見の歴史的意義に触れ、人類益を目指す「宗教間対話」の価値と創価の師弟が果たしゆく使命について考察したい。 ■差異を超え 理想を分かち合う 「宗教間の平和がなければ、国家間、文明間の平和はない」「宗教間の対話がなければ、宗教間の平和はない」(『文明間の対話』潮出版社、2004年2月11日刊) これは、神学者で「地球倫理財団」会長のハンス・キューン氏の言葉である。 これまで、宗教はしばしば「戦いの際の旗印」として用いられ、「長い歴史をもつ宗教のほとんどは、何らかの形で戦争や暴力と関わってきた」(『キリスト教と戦争』中央公論新社) 聖職者が武器を携え、戦場に赴くことも珍しいことではなかった。 キューン氏は語る。「平和は諸宗教の大方が計画する事業の主眼点である。今日の宗教の第一の任務は、宗教間の和解を達成することでなければならない」 しかし、宗教間対話は「教義上の相違点」などの障壁をなかなか越えられずにいた。 南山宗教文化研究所のJ・W・ハイジック所長は1995年、南山大学で行われたシンポジウムで、従来の宗教間対話の姿勢が往々にして「学問的な仮面をかぶったピーアールの方策にすぎないものでした」(『カトリックと創価学会』第三文明社)と憂慮を語っているが、“自宗の思想性”を誇示し合うような対話が繰り返されてきたことも事実である。 宗教間対話について、フランスの神学者デニス・ジラ博士は、本紙のインタビュー(2020年12月11日付)で、こう述べている。 ![]() 昨年9月、フランスのパリで開かれた国際会議「イマジン・ピース」。聖エジディオ共同体が主催した同会議には、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教などの関係者とともに、創価学会が招へいを受け、代表が参加した 「多くのカトリック神学者が近年、仏教を真剣に学んでいます。これは、第2バチカン公会議(注1)以降、現代の要請に応じるための教会の改革として、『宗教間の対話』が推進されてきたことによるものです。 また、プロテスタントでも同様の研究と対話への取り組みがなされています。ある信仰を持つ人が、異なる信仰の人を理解し、あるいは対話しようとする際に、大切なのは互いの信仰の『本義』を問い直すことです。それぞれの宗祖の精神に、立ち返るということでもあります」 他のキリスト教派の代表も参加した「第2バチカン公会議」は、1962年から65年まで開かれた。 同公会議の主要議題は教会の現代化であったが、諸宗教の価値を認め、宗教間対話に積極的に取り組む姿勢も示された。 68年に誕生したカトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」(注2)で事務総長を務めたアルベルト・クァットルッチ氏は、かつて、本紙のインタビュー(2016年4月1日付)で、「第2バチカン公会議」の意義を次のように語っている。 「当時は、他宗教に対しては閉鎖的であり、他宗の人間はカトリックに改宗させるべきだとの意見が根強くありました。しかし、同公会議では、ローマ教皇ヨハネ23世、後を継いだパウロ6世によって、それまでの方針を刷新する発表が、次々となされたのです。 異なる諸宗教を尊重し、宗教間対話と協力を促しました。(中略)1968年元日、パウロ6世は『世界平和の日』のメッセージで、他の宗教者も、平和のために祈りを捧げる人は『真の友』であるとの表現を用いました。 こうした共生や寛容の精神の強調は、キリスト教のその後の発展に貢献しました」 ■学会の大事な使命 第2バチカン公会議開幕の前年(61年)10月、池田先生(当時33歳)はバチカンを訪れ、同行の青年たちとサン・ピエトロ大聖堂などを視察している。 当時の模様が描かれた小説『新・人間革命』第5巻「歓喜」の章には、山本伸一の言葉を通し、宗教間対話を重視した池田先生の思いが克明に記されている。 “キリスト教などの他宗教に対し、学会はどのように対応すべきか”との同行の青年からの問いに、伸一は答えた。 「人類の歴史は、確かに一面では、宗教と宗教の戦争の歴史でもあった。だからこそ、平和の世紀を築き上げるには、宗教者同士の対話が必要になる。 特に将来は、それが切実な問題になってくるでしょう。(中略)それぞれ立場は違っていても、人間の幸福と平和という理想は一緒であるはずだ。 要するに、原点は人間であり、そこに人類が融合していく鍵がある。そして、宗教同士が戦争をするのではなく、“善の競争”をしていくことだと思う」 伸一が語った“善の競争”――それは、すなわち「平和のために何をしたか、人類のために何ができたかを、競い合っていくこと」であり、「世界平和に貢献する優れた人格の人を、どれだけ輩出したか」という、初代会長・牧口常三郎先生が提唱した「人道的競争」に通じる着想であった。 そして、伸一はこう決意を述べている。 「時をつくり、時を待ち、私たちは、平和のため、人類のためにこうしてきましたという実証を、着実に積み上げていくことです。 また、そうした行動を起こす時には、宗門も世界の平和を担うという、宗教者の責任を深く自覚し、私たちと同じ認識に立つ必要がある。 ともかく、いつか、その流れをつくり、宗教の違いによる人間同士の争いや反目は、根絶していかなければならない。 私は、それが最終的には、人類史における、学会の大事な使命になると思っている」 ![]() 昨年5月、原田会長とローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が会見。核廃絶に向けた創価学会の取り組みに、教皇からは「素晴らしい。私も同意します」と(バチカン市国のアポストリコ宮殿で)©Vatican Media 池田先生のもとに、駐日教皇大使の大司教から会談の要請が届き、都内で初会談が行われたのは、第2バチカン公会議閉幕(65年)の2年後――67年12月のことだった。 原田会長は、述懐する。 「当時はSGI発足の8年前であり、世界的な広がりという意味では、まだ“萌芽”ともいえる創価学会でした。 ですが、大使は池田先生の先見性に気付き、“理想を共にできる団体”と期待し、先生との会見を切望されたのだと思います。 先生と大使は、その後、複数回にわたり会見を行いました。明らかに、『来たるべき時』を念頭に置いて、打ち合わせを進めていたのだと確信します。 先生とローマ教皇との会見は、刻一刻と迫っていたのです」 72年11月2日、大使との6度目の会見(同月28日)を前に、池田先生は「第35回本部総会」の席上、次のように語っている。 「宗教、信仰の違いにとらわれて、おのおのの宗教的使命に固執するあまり、人間的使命の遂行をないがしろにして、世界の破滅を手をこまねいて見ているとしたならば、それは中世末ヨーロッパの宗教戦争の愚を繰り返すことになってしまうでありましょう。 その意味で、私はもしそうした機会があるならば、恒久平和の実現のために、現にこの地球上で行われている戦争の終焉のために、キリスト教やイスラム教や仏教等と世界の宗教界の人々と心から話し合う用意があることを、この席で強く申し上げておきたいのであります」 このスピーチの3年後(75年)、先生と教皇との会見スケジュールが組まれた。 小説『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章に、こうつづられている。 「ローマ教皇庁の関係者とは、既に八年前から対話を始めていた。カトリックと仏教が互いに理解を深め、世界平和を築くための共通の土台をつくっていきたいとの、意見の一致もみていたのだ。 そのなかで、ローマ教皇との会見を勧められ、この一九七五年(昭和五十年)の欧州訪問にあたって、ローマ教皇庁への招待を受けていたのである」 ■人間的使命の遂行 先生と大使が8年の歳月をかけ、大切に友誼を育み、準備してきた会見であった。 しかし、世界の動向を知らず、宗教者としての使命も責任も分からず、教条主義に陥った日蓮正宗宗門の妨害によって、会見は中止となる。 同章で、先生は「この会見が実現すれば、どれほど有意義な世界平和への語らいがなされたことであろうか」とつづっているが、平和への歩みを遅らせた宗門の罪は、あまりに重い。 「時をつくり、時を待つ」――その言葉通り、池田先生は自ら範を示すように、地球的規模で宗教間対話を展開。キリスト教をはじめ、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教などを信奉する世界の知性とも対談を重ね、平和の未来の創出へ、手を携えてきた。 先生の信念は、後継の青年たちの心に受け継がれ、各国・地域にあって、相互理解を深めようと「宗教間対話」が繰り広げられてきた。 ノーベル平和賞受賞者であり、カトリック教徒のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士は、先生との対談を通し、三代会長の平和闘争に共感。以来、学会とカトリック世界の相互理解に努めてきた。博士は先生との対談集『人権の世紀へのメッセージ』の中で、SGIを次のように評価している。 「SGIは青年の育成に貢献する場であり、各国の組織が、また各人が、尊敬されるべき『平和と人生の新しい模範』となっています。(中略)私は、アルゼンチンSGIの青年に、こう語らせていただいています。――池田先生が授けてくださっていることの一つ一つが、『平和の建設者』としての責任から生まれたものであり、大いなる智慧が含まれているのです。 皆さん方、それぞれの活動範囲で、池田先生が教えてくださる精神性と英知の価値観と信念を実践していかなければなりません。そうすれば、自身が直面する現実と社会をも変えることができます。そのためには、『行動』が欠かせません、と」 ![]() 池田先生とエスキベル博士の共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」の発表を記念する「青年の集い」。声明の意義は、カトリック系放送局でも報じられた(2018年6月、ローマで) そのアルゼンチンのSGIの青年たちは、国民の大半がカトリックという社会の中で、平和など共通の課題について胸襟を開いて語り合おうと、宗教間対話の集いを開催。カトリックとも友好関係を深めてきた。 草の根から始まった集いは、年を追うごとに大きく発展し、2016年9月には、政府の外務省宗務局や世界的なキリスト教系の団体と同国SGIが共催して「平和の祈りの集い」を開催。政府関係者、国内の30以上の宗教団体の最高指導者らが参加し、調和と幸福を目指す平和宣言を採択している。 さらに、中南米出身で初のローマ・カトリック教皇となった現在のフランシスコ教皇は、ブエノスアイレスの枢機卿時代に、エスキベル博士の尽力もあり、同国SGIとの交流をもっている。 池田先生は、先述のエスキベル博士との対談集の中で、第2代会長・戸田城聖先生の次の言葉を紹介している。 「日蓮大聖人をはじめ、釈尊、キリスト、ムハンマド、マルクス等の巨人が集まって、トップ会談をすれば、その大きい慈愛の心の語り合いは、譲り合い、尊重し合い、反省し合うであろう。 そして根本的目的である人類の恒久の幸福に向かって、戦争・暴力・紛争を断じて食い止め、人間の真の平和と真の繁栄の目標へと、完全な一致を見いだすであろう」 その上で、池田先生はこう訴えている。 「現実社会のなかで、悩み、苦しみ、病める人々をどう救うのか――こうした創始者たちの精神に立ち返ってこそ、偏狭な急進主義や対立、争いを克服する道が開かれます。宗教の本来の目的は、どこまでも人間の幸福であり、『宗教のための宗教』ではないはずです。 この宗教本来の『人間的使命』に鑑みるならば、宗教は、人類の福祉と平和のために、違いを超えて必ず協力できるはずです」 (㊦は後日掲載) 注1=第2バチカン公会議バチカンで1962年から65年に開かれたカトリック教会の公会議。教会の現代化が主要課題として審議され、諸宗教との対話に積極的に取り組む姿勢を示したほか、社会に開かれた教会を目指すことなどが打ち出された。現代人および世界と教会との関係を述べた『現代世界憲章』(通称)などが採択されている。 注2=聖エジディオ共同体国際的な人道支援などに取り組むカトリックの信徒団体。1968年、高校生らがローマのスラム街で始めた貧困者支援の運動がきっかけで発足した。世界各地に平和のネットワークを広げ、貧困者の支援などを行い、モザンビークなどにおける紛争の調停への貢献には、高い評価が寄せられている。 |